2人は愛知県岡崎市の出身。名前の由来は、2人の恩師である作曲家・都倉俊一から、「いつまでも大ヒットという獲物を狙い続けるハンター(狩人)であれ」といわれて名付けられたもの。なお、グループ名の有力候補として“みつばち君”なるものがあったといわれる。
1977年3月25日発売の『あずさ2号』でデビュー。同曲はいきなり大ヒットを飛ばし、また同年暮れの第19回日本レコード大賞など数々の新人賞を受賞、人気を得る。同曲でサンレモ音楽祭などにも出場。以降も『コスモス街道』『若き旅人』『アメリカ橋』などのヒットで、スター歌手の地位を築いた。年末恒例のNHK紅白歌合戦には1977年・第28回(あずさ2号)、1978年・第29回(国道ささめ雪)に2年連続で通算2回の出場を果たす。当時の所属事務所の意向もあって、若手の歌手としては珍しく、物静かなトーンで売り出していた。なお同期デビューには、当時「フレッシュ三人娘」と呼ばれた高田みづえ・榊原郁恵・清水由貴子のほか、清水健太郎、太川陽介などがいる。
NHK総合テレビ・レッツゴーヤングでは、デビュー時の1977年4月~翌1978年3月迄サンデーズの一員として、1978年4月~翌1979年3月迄司会者として、ほぼ毎回出演していた。
以降は大きなヒットには恵まれなかったが、ドラマやCMに楽曲が採用され特に1994年歌謡バラエティー番組THE夜もヒッパレ出演で再ブレイク。翌年、『あずさ2号(ニュー・ヴァージョン)』をリリース。その後二人は歌手以外に自らの才能のテリトリーを広げようという意図から、それぞれ歌手・舞台俳優としてのソロ活動も行うようになる。
煙草のポイ捨て撲滅運動に参加し、キャンペーンソング『どんポイ!(Don't Poi!)をリリースし、ヒットした。また初のレギュラーラジオ番組として『狩人 ときめきの扉』などにも出演。
2006年3月19日には、デビュー30周年コンサートと、プロ野球OBチームマスターズリーグとの野球試合を東京ドームで開催し、主催者側発表で2万人の観客を集めた。岡崎友紀、伊藤咲子、三善英史らと“青春コンサート”と銘打った懐メロコンサートで全国を回る。
しかし2007年4月26日、同年12月31日をもって狩人を解散することを発表。一旦解散の後、兄の久仁彦は(アマチュア)ボクシングとソロ歌手として活動を行い、弟の高道はソロ歌手活動を行っていた。
2010年11月、久仁彦が森田公一の抜けたトップギャランにリードボーカルとして加入し、「加藤久仁彦&トップギャラン」としての活動を開始。同年12月25日には、狩人として愛知県のホテルトヨタキャッスルにて「クリスマスディナーショー」を開催。翌2011年1月、久仁彦が所属事務所「夢グループ」を移籍。同年5月25日には加藤久仁彦&トップギャランがシングル青春紙風船(カップリング曲として『青春時代』を収録)を発売した。
2012年7月18日、5年ぶりに再結成する事を発表[1]。同年8月18日放送のNHK「思い出のメロディー」に出演して『あずさ2号』を歌唱し[2]、同年11月6日の「NHK歌謡コンサート」では『コスモス街道』を歌唱。現在兄弟二人は個別の歌手活動をこなしながら、狩人としても並行して再活動中である。
コスモス街道
狩人 Lyrics
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日除けのおりた 白いレストラン
秋の避暑地で 出会うひとはみな
なぜか目を 目を伏せて
なぜか目を 伏せ歩きます
コスモスの花は
今でも咲いていますか
あの日の二人をまだあなたは
愛されなくても 最後まで
のぞみを捨てずにいたかった
右は越後へ行く 北の道
左は木曽まで行く 中仙道
続いてる コスモスの道が
あなたに賭けた ひとつの季節
優しい日々は 帰らないけれど
愛の想い出 そっととり出して
この胸に 暖めて
暖めなおす 私です
コスモスの花は
今でも咲いていますか
心の支えを今ひとりで
たずねてきたの
愛されなくても 最後まで
のぞみを捨てずにいたかった
右は越後へ行く 北の道
左は木曽まで行く 中仙道
続いてる コスモスの道が
The lyrics of 狩人's song コスモス街道 describe a nostalgic memory of a season spent in a summer escape in the company of someone special. As they descend from the bus, they find themselves surrounded by a vast grove of tangled pines and a calm haven in the form of a white restaurant. The people they meet there seem to avoid looking into each other's eyes, as if hiding something, walking with their gazes lowered. The singer wonders if the cosmos flowers they saw back then are still blooming today and asks if their companion remembers the two of them from that day. They continue their trip on the road that leads to the right towards Echigo and to the left towards Kiso, but the cosmos road that connects them is still there, stretching out for miles.
The chorus talks about the singer's memories of the love they once had during that season, and how they will not forget the hope they held on to even if it was not reciprocated. They ask themselves if the cosmos flowers are still blossoming, and if they will continue to be a source of warmth in their heart. They reflect on how they searched for support on their own, even when they were not loved back. The imagery of the cosmos flowers symbolizes the fleetingness of beauty and relationships, and how they can still retain their warmth even after they have withered away.
Line by Line Meaning
バスを降りれば からまつ林
When you get off the bus, you're greeted by a pine forest.
日除けのおりた 白いレストラン
There's a white restaurant shaded from the sun.
秋の避暑地で 出会うひとはみな
Everyone you meet in this autumn resort town,
なぜか目を 目を伏せて
seems to look down and avoid eye contact.
なぜか目を 伏せ歩きます
They even walk around with their eyes lowered.
コスモスの花は
Are the cosmos flowers
今でも咲いていますか
still blooming even now?
あの日の二人をまだあなたは
Do you still remember
覚えてますか
the two of us from that day?
愛されなくても 最後まで
Even if you're not loved, until the end,
のぞみを捨てずにいたかった
you wanted to hold onto your hope.
右は越後へ行く 北の道
To the right, the northern path leads to Echigo.
左は木曽まで行く 中仙道
To the left, the Chusen-do leads to Kiso.
続いてる コスモスの道が
And the cosmos road continues ahead.
あなたに賭けた ひとつの季節
That one season you gambled on with me,
優しい日々は 帰らないけれど
Those gentle days won't come back,
愛の想い出 そっととり出して
so take out those memories of love softly,
この胸に 暖めて
and warm them up in your heart.
暖めなおす 私です
I'm the one who will rekindle them.
心の支えを今ひとりで
On my own, I've come to search for
たずねてきたの
the support for my heart.
愛されなくても 最後まで
Even if you're not loved, until the end,
のぞみを捨てずにいたかった
you wanted to hold onto your hope.
右は越後へ行く 北の道
To the right, the northern path leads to Echigo.
左は木曽まで行く 中仙道
To the left, the Chusen-do leads to Kiso.
続いてる コスモスの道が
And the cosmos road continues ahead.
Lyrics © O/B/O APRA AMCOS
Written by: 真知子 竜
Lyrics Licensed & Provided by LyricFind
@user-kw8fj9ej5h
@@andychai2645 様
コメント有り難うございました。
今までただ“いい歌だな”と思いながら聴いてきたこの曲が、tac12469様のコメントを頂き、「はて、ほんとにどこだろう」と思っていましが andy chai様のコメントを頂き、納得です。
私は文学にはとんと疎く、今まで考えたこともなかったのですが、ネットで調べてみました。
追分公民館には詩人の立原道造さんのレリーフがあるそうですね。
そこには立原道造さんの「夏の旅」の中の詩の一節があり、
・・・・ 右は越後へ行く北の道
左は木曽へ行く中仙道
という部分もありました。
まさしく「コスモス街道」の歌詞でした。
「バスを降りれば からまつ林・・」の歌詞も、軽井沢でぴったりです。
ただどなたかのブログには、「狩人」のこの曲が発売された1977年当時、ここ追分宿の分去れ(わかされ)はコスモス街道ではなかった。との記述も見つかり、tac12469様の疑問はそのままです。
いっぽうのR254の佐久市内山地区は1972年(昭和47年)地元のボランティアでコスモスを植え始めたといいますから、
「狩人」のこの曲が発売された1977年当時にはきっと見ごたえのある景観になっていたのでしょう。
「コスモス街道」の場所は発売当時から論争があったそうですね。
私はまったく知りませんでした。
作詞の竜真知子さんは作家のイマジネーションでこのような印象的な歌詞を仕上げたのかもしれない と私は思い始めています。
andy chai様、それにこの場を借りて tac12469様にもお礼いたします。
私も(ちょっとは)賢くなりました(笑)
@user-qz6pf9de3v
モデルになったコスモス街道があるのは軽井沢の中山道と北国街道の分岐点あたり、100m程の道路にコスモスが咲いてるんですね。
@user-fg2dl7nd9q
今の時期にピッタリコスモス街道🎉
何度聞いても❤聴くほど狩人の歌声に感動と何故か胸が熱くなる🎉
良いですよね最高です😊
@user-kw8fj9ej5h
user-fg2dl7nd9q様 こんばんは
コメントありがとうございます
歌詞とメロディ、狩人のお二人の歌声がよく合ってほんとにいい曲ですよね。
澄んだ秋空の季節になりました。
日本各地の「コスモス街道」は今それぞれに咲き誇っているのでしょう。
@user-fg2dl7nd9q
@@user-kw8fj9ej5h 来月そしてクリスマスディナーショー楽しみにしております😊
狩人様のハーモニー最高です✨
@user-ru7uh1sd5b
子供の頃聞いた曲だが、忘れられない。詩も曲も最高。狩人の歌唱も最高。俺にとって最高の一曲。
@user-kw8fj9ej5h
聴いて下さってありがとうございます
ほんとうに詩・曲・歌唱 それに演奏も最高ですね。
そろそろコスモスの季節です。
@1126megu
田舎にすんでいるので、道の脇にコスモスが、つらなってさいているところがたくさんあります。そんな光景に出会うと「コスモスの花は今でも咲いていますか」と思わず歌ってしまいます。今でも私の心に咲いている「コスモス街道」。
@user-kw8fj9ej5h
歌詞、メロディ、演奏に、狩人の歌唱がマッチしていて私も大好きな曲です。
聴いてくださってありがとうございます。
@user-tn6pi2hb9b
コスモス街道
素敵な歌です。
狩人に歌は僕の青春時代そのものです。
昭和の歌は令和の時代に聴いても最高です。
先日、家内と信州へ行きコスモス街道をドライブしました。
@user-kw8fj9ej5h
コメントありがとうございます
昭和40年代50年代はほんとにいい歌がたくさんありましたね。