星の流れに
菊池章子 Lyrics


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石川さゆり 星の流れに 身を占って どこをねぐらの 今日の宿 すさむ心で 枯れはてた こんな女に 誰がした 煙草ふかして 口笛ふ…
秋吉久美子 星の流れに 身を占って どこをねぐらの 今日の宿 すさむ心で 枯れはてた こんな女に 誰がした 煙草ふかして 口笛ふ…


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岸壁の母 母は来ました 今日も来た この岸壁に 今日も来た とどかぬ願いと 知りながら もしやもしやに もしやもしやに ひかされて…


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@fz-286

この歌のタイトルは「こんな女に誰がした」だったのですがGHQの許可が下りず「星の流れに」に
変更されました。
こんな女に誰がした!もちろん侵略国家アメリカですから反感を恐れたGHQが許すはずもありません。
始めは淡谷のり子さんに歌ってもらう方向で話が進んでいましたが、ご本人が「娼婦の歌なんか歌えない」
と拒否されたようで、菊池章子さんが引き受けてくれました。


昭和はは輝いていましたよね。
昭和前半世界の不正と戦った日本。昭和後半戦争で負けたとはいえ経済で戦っていた日本。
出光佐三・松下幸之助・本田宗一郎など立派な方々が活躍されていました。


プラザ合意➔バブル崩壊➔失われた30年 輝きを失った平成・令和。
このような日本をつくり、外資に売り渡してきた奴は誰か?
真剣に見つめないと、子供や孫がまたこの歌を歌う時が来てしまいます。



@user-wh7om2fq2d

星の流れに身を占って
何処を塒の今日の宿
荒む心で居るのじゃないが
泣けて涙も枯れ果てた
こんな女に誰がした

煙草ふかして口笛吹いて
あてもない夜の流離いに
人は見返る我が身は細る
街の灯影の侘しさよ
こんな女に誰がした

飢えて今頃妹は何処に
一目逢いたいお母さん
唇紅哀しや唇噛めば
闇の夜風も泣いて吹く
こんな女に誰がした



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@sibataful

この頃は小学校へ行けるかどうかの暮らしでした。親父は家に寄り付かず母親が育ててくれたのですが仕事をしてた訳でもなくどうやって育ててくれたのか分かりません。その母も9歳で他界し後は親せきの家を渡り歩いた訳です。そんな中で何時も遊んだ今は亡き勲ちゃんが思い出されます。山に川に田圃に自然の中で遊びまくれた大切な友でした。その時の遊びが今思えば創造性をはぐくんでくれたと思います。三~四人集まると何して遊ぶと誰か言えば1~2分で毎日別の所で遊べたのです。そんな友達をその頃は気が付かず飲み語ることも無かったのが後悔されます。仕事をするようになり日本地図を股にかけて仕事もし遊びました。今度、田舎に帰った時は勲ちゃんの神前に詣でたいと思います。

@user-ux8hp9gw1g

切なくも、懐かしい想い出ですねぇ😊😢

本当に昭和の良き想い出です✨🎉㊙️☺️😿⤴️

@universe0919

子供を食べさせるために米や醤油を買うために体を売った女性も
多くいたと聞いています。
そんな時代を生きた人たちが今の日本を作ってくれたんだと感謝しています。

@togawadoki6878

この歌を聞くと、神戸の三宮駅を思いだします。戦争孤児や負傷兵隊、浮浪者が通路に群がっていた光景、、悲惨でした。トーアロードには ケバい化粧にネッカチーフをしたパンパンがずらーと並んで、 アメリカ兵に群がっていました、、本当に大変な時代でしたね。
この歌を聞くとあの光景トアの子供や兵隊さんたちパンパン呼ばれた人たちは、どんな人生を歩んだのかと思ってしまいます。
そんな時代があったことがどんどん忘れ去られていくのを感じる時、むなしさを感じてしまいます。

@user-bo8mh6iw1o

昭和18年生れ、僅か4歳の時のリリースですが、何故か知っているし、この時代の女性達のことが切なくも想いとして脳裡に浮かぶ。子供の頃、パンパンと呼ばれ、米兵と連れだって居たのはハッキリと覚えている。省線恵比寿駅近くに恵比寿キャンプがあったからか?昭和27年以降もかなりいましたね。港が見える丘も同年リリースですが、とても好きな哀愁に満ちた歌です。昭和も50年以降の歌は殆んど知りません。化石時代の生き残りと言われても、胸に染み渡る曲が多いと思います。

@ryojimuto4165

横浜大空襲をガチで経験した亡き祖母が省線、東京市とたまに言っていました。懐かしい響きてました

@user-ux8hp9gw1g

苦難に満ちた当時に想いを馳せるとき
此の(星の流れに)が、自然と浮かんで参ります😢
(星の流れに身を占って何処をネクラの今日の宿😢)もう70年以上の歌ですが
あの廃墟何処化した時代から新日本が
奇跡的に復興させてくれた先人樣に心から🙇
感謝の真を捧げます🇯🇵🎌㊙️👏🏼🙏

@fz-286

この歌のタイトルは「こんな女に誰がした」だったのですがGHQの許可が下りず「星の流れに」に
変更されました。
こんな女に誰がした!もちろん侵略国家アメリカですから反感を恐れたGHQが許すはずもありません。
始めは淡谷のり子さんに歌ってもらう方向で話が進んでいましたが、ご本人が「娼婦の歌なんか歌えない」
と拒否されたようで、菊池章子さんが引き受けてくれました。


昭和はは輝いていましたよね。
昭和前半世界の不正と戦った日本。昭和後半戦争で負けたとはいえ経済で戦っていた日本。
出光佐三・松下幸之助・本田宗一郎など立派な方々が活躍されていました。


プラザ合意➔バブル崩壊➔失われた30年 輝きを失った平成・令和。
このような日本をつくり、外資に売り渡してきた奴は誰か?
真剣に見つめないと、子供や孫がまたこの歌を歌う時が来てしまいます。

@user-vj7bv7kq7w

この歌を聞くと涙が止まりません。こんな世相を二度と作るようなことはあってはなりません。東京だけでなく、
地方都市も同じ状況で、子供心にも生意気だが、心情を思うと泣けたものです。

@user-io2rz7es9c

高校生のとき、ある日校舎と体育館をつなぐ渡り廊下を歩いていた。屋根はあるけど壁のない吹き曝しでその日は寒くて手をポケットに入れながら 「こんな女にだれがした」と歌いながら歩いていたら「おいそこの、待て。学校でそんな歌歌うんじゃない」と呼び止められた。「ポケットから手を出せ、そんなんじゃなくて学校で習った歌歌ってみ」と言われた。「私は絵画の選択で音楽はやってません」と答えた。「ったく、そんな歌どこで覚えたんだよ、とにかく高校生がそんな歌うたうもんじゃないぞ」。
もう半世紀も前の想い出。

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