In 1972, she released her debut single Henji wa Iranai (返事はいらない, "No Response Necessary"). The next year she released her first album Hikoki-gumo (ひこうき雲, "Contrail").
In 1976, at the age of 22, she married her producer, Masataka Matsutoya (松任谷正隆), and from then on she went by her new name Yumi Matsutoya. In 1990, she received a gold disc grand prix. She also made appearances in many television commercials. Fans take note of her singing talent as well as her unique singing voice.
She became famous for many songs, including Hikoki-gumo and Haru yo, Koi (春よ、来い, 1994, "Spring, Come") which was used as the opening theme song for a TV drama by the same name. Her song Rouge no Den'gon (ルージュの伝言, "Rouge Message") is featured in the anime film Kiki's Delivery Service from the famed Studio Ghibli.
As reported on various websites, Yuming also writes songs for other singers, using the pen name Kureta Karuho.
ひこうき雲
松任谷由実 Lyrics
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ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は 昇っていく
何もおそれない そして舞い上がる
空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲
高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも 若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ
空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲
空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲
The song "Hikoukigumo" by Yumi Matsutoya tells a story of a young girl who aspires to fly like the clouds in the sky. The first verse describes a white hill that leads to the sky, and the girl who's surrounded by the swaying shade. Despite being alone and unnoticed, she fearlessly ascends and soars into the air. The chorus then reveals that her dream had always been to fly, and she has become as light and fleeting as a vapor cloud. In the second verse, it's revealed that she had always stared at the sky, even before her passing, and it was something that only she could understand. Even though she died too young, there is a sense of contentment and satisfaction that can be felt from the way the song is delivered.
The song is a poignant reflection on life and death, and the pursuit of one's dreams. The lyrics express the idea that it is never too late to pursue your dreams, no matter how big or small they may be. The girl in the song had a passion for the sky, and her unwavering determination allowed her to reach her goal. The song also emphasizes the importance of cherishing the memories of those who have passed, and perhaps their spirits live on through dreams and aspirations. Overall, "Hikoukigumo" is a touching and inspiring song that encourages listeners to follow their passions fearlessly.
Line by Line Meaning
白い坂道が 空まで続いていた
A white hill road continued to the sky
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
Flickering shades of light surrounded that child
誰も気づかず ただひとり
Alone, without anyone noticing
あの子は 昇っていく
That child keeps rising
何もおそれない そして舞い上がる
Without any fear, soaring high
空に 憧れて 空を かけてゆく
Longing for the sky, flying in the sky
あの子の命は ひこうき雲
That child's essence is a contrail
高いあの窓で あの子は死ぬ前も
Before that child died at the high window
空を見ていたの 今はわからない
We do not know what they were looking at in the sky
ほかの人には わからない
No one else knows
あまりにも 若すぎたと ただ思うだけ
Just thinking how that child was too young
けれどしあわせ
But that child was happy
Writer(s): 荒井 由実, 荒井 由実
Contributed by Luke W. Suggest a correction in the comments below.
@user-yz4rl3mu9p
私には6歳の入学前に、空に駆け上がっていった娘がいます。
この歌を聞くまではこのことは書けないと思っていました。
仕事に行くときには、国府台のバス停で小さな手を振って見送ってくれました。
私が歯医者に行くときでさえ、歩きにくくなった足を引きずりついてきました。
一度だけ5月の大学祭に3歳年上の姉とつれて行ったことがあります。
学科の模擬店の椅子に座って、焼きそばを二人でおいしそうに食べていました。
学部の学生と何やら楽しそうに話していたようでした。
入院生活が長くなり、病室で仕事の原稿を書くことが多くなり、
一緒にいる時間が24時間になることも度々でしたが、
その時間が一番幸せな時間だったのかもしれません。
このコメントを少しの間だけ掲載させてください。去年33回忌を迎えました。
@user-nb3jm9se9t
タイトル:ひこうき雲
歌手:荒井由実
作詞:荒井由実
作曲:荒井由実
編曲:荒井由実
白い坂道が空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は昇っていく
何もおそれない、そして舞い上がる
空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲
高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも若すぎたと ただ思うだけ
けれど しあわせ
空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲
空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲
@user-dk5yb2jf6c
あくまでも個人的に頭にに浮かんだ情景描写なのですが
パイロットに憧れていた余命も僅かな幼い少年がいて
毎日のように少年は病室の窓から空を見上げている。
そこには ひこうき雲が
尾を引いて消えていく 光景が。
少年の儚くも短い命がその消えて去っていくひこうき雲と重なってしまいました。
歌詞が書かれる背景について知りもせずに
こんな勝手ながらな想いをコメントしてしまい申し訳ありません。
@user-jq6ul5xf8c
恋人が空に駆けていった
生前大好きだったこの曲
「生きて」ってセリフも大好きだった
26歳という若さだった
いつも通りの日常だった
まだ辛くて最後まで
聴くことができないけど
いつか、幸せを感じながら
あなたを想いながら
この曲を聴きたい
@riku.3460
白い坂道が 空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は 昇っていく
何もおそれない そして舞い上がる
空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲
高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも 若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ
空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲
空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲
@user-yz4rl3mu9p
私には6歳の入学前に、空に駆け上がっていった娘がいます。
この歌を聞くまではこのことは書けないと思っていました。
仕事に行くときには、国府台のバス停で小さな手を振って見送ってくれました。
私が歯医者に行くときでさえ、歩きにくくなった足を引きずりついてきました。
一度だけ5月の大学祭に3歳年上の姉とつれて行ったことがあります。
学科の模擬店の椅子に座って、焼きそばを二人でおいしそうに食べていました。
学部の学生と何やら楽しそうに話していたようでした。
入院生活が長くなり、病室で仕事の原稿を書くことが多くなり、
一緒にいる時間が24時間になることも度々でしたが、
その時間が一番幸せな時間だったのかもしれません。
このコメントを少しの間だけ掲載させてください。去年33回忌を迎えました。
@Garden1108
あの時の焼きそば、きっと美味しかったはずです。
@user-xy2zk1mg7f
泣いてしまいました。
娘さんお母さんに心から心から愛されて幸せでしたね。
幸せな時間は永遠です。
コメントありがとうございます。
あなたのこれからが穏やかで幸せなものでありますように。
@user-lb8kf4el8h
ふと 国府台で書いてみました。
桜泉は 近くにありましたか?
きっと きっと 思い出は幸せだと 思いますよ。
校歌は 日本一。
多分 同じ 小学生の私の娘と同級生だったかもね。
違ってたら ごめんなさいね。
@ts-tz9uv
ユーミンの歌詞通り他の人には分からない、短かったかもしれないけどお母様と幸せな時間を過ごされたのと思います。幸せな思い出がいつまでも一緒にありますように。
@theworldprincess01
I'm so sorry for your loss , i hope things go well for you whenever u are. Sending you strength and best wishes, sorry I'm very bad at comforting words 🌸
@user-lr8li1mv6p
この曲知らなくてパパの曲かと思ってしまう位号泣してしまいました。全国ニュースになる位の航空機事故で若くして亡くなったパイロットのパパ。小さかったので未だに詳しい事は知らないし知りたくないけど、戦闘機あがりのパパなら不時着できたはずだけど墜落現場近くに小学校があり回避したため山の斜面に墜落したと聞いています。小学校の生徒や先生方は何も知らずみんなで手を振っていたそうです。
パパが生きれなかった分、わたしは頑張って生きているかなって思います。
@user-in4fs6ep3q
松任谷様、この歌を出されて数十年。
先日、次女が飛行機雲になったしまいました。
力が抜けて涙の毎日ですけど、娘も泣き虫な親を見て笑うだろうから
切り替えなきゃと思ってます。
でも、この歌を聴くと涙が止まりません。
空を見上げて雲を見てると娘の好きだったジャズダンスを踊っているんだなと思うようにしてますけど。
でも、もう少し時間が必要です。
@user-zp7or1dq3o
いつまでも いつでも 娘さんを思い出して 思いっきり泣いてください。
天国の娘さんは、軽やかなステップでダンスしながら、笑っているかもしれませんが。
泣き虫なお母さんも、いいものです。
@user-gr6mi2cr9y
2番の「けれどしあわせ」ってフレーズがすごく考えさせられる。
人が亡くなると「可哀想だ」って多くの人が思うけど、そうとは限らないのかもしれない。
死ぬことが分かった瞬間の気持ちはきっと本人にしかわからない。